正対による分類、視点
ここまで正対こそが、サッカーにおける上手さの核であることを見た。
正対が核である以上、技術レベルはそれを基準に定義されなければならない。
この基準はいわば正対度というべきものであり、上に行くほど高い。
サッカーの技術の高さにおいて個別技術の器用さ、キックが正確である、キックが遠くまで飛ぶ、切り返しが深い、切り返しの種類が豊富である、といった要素は副次的な重要性しか持たない。
副次的であるということは個別技術がサッカーに必要ないという意味ではない。
いくら正対に優れていても、その後のパスがすべてずれるようでは意味がない。
個別技術は正対の後に重要になるという意味である。
また個別技術をいくら器用にこなしたところで正対ができなければ、それはただの下手である。
この点についてはこれまでに見た通りである。
正対ができるか否かによって明快に上手、下手の区別がなされる。
正対をできる選手が上手であり、正対をできない選手が下手である。
より正しく言えば、正対してプレーする方が楽な選手を上手と呼び、正対しないでプレーしたがる選手を下手と呼ぶ。
正対の欠けたプレーはしょせん嘘であり、偽である。
最初はどうしても横を向いたプレーから始まる。
ボールを持って相手に詰められると、慌てて横を向いてしまう。
少し進化すると、相手から逃げながらもボールを保持して移動しつつプレーするようになる。
これがスラロームである。
ただしスラロームは行き止まりの概念である。
どんなに突き詰めたところで本当に上手くはならないし、真の技術は身につかない。
上手と下手の段差を飛び越える鍵は正対にある。
そこを乗り越えて初めてサッカーをプレーすることができる。
それ以前はサッカーの真似事をしているに過ぎない。
これはサッカーを見る上で絶対に欠かすことのできない視点である。
正対もレベルにより、いくつかの種類に分けることが可能である。
次にそれぞれの意味するところを見る。
【蹴球計画】より ※この内容は蹴球計画のミラーサイトとして作成しています。詳細についてはこちら。