正しいコントロールとは 嘘の言い分、現実を理屈に閉じ込める
ここではなぜそのような嘘が広まっているのかその理由を見る。
以下の話がよくわからない場合、「正しいコントロールとは」からお読みいただきたい。
一つにはその方法にもっともらしい理屈がくっついていることによる。
「ボールを止めるためにはその運動量をゼロにすればよい。そのためには力を一定時間加えればよく、一定時間力を加えるためには一定時間ボールと接触する必要がある。それを達成するにはボールの動きに合わせて足を引けばよい」
これなどはその代表的なものである。
しかしサッカーにおいてはコントロールに時間をかけない方が良い。
時間がかかればかかるほど次のプレーに移るタイミングが遅れるし、例えば相手との接触にも弱くなる。
そこを突き詰めるのが技術的な探求というものであり、最初から時間をかけることを前提としたメカニズムを採用しては話にならない。
また、これの派生として次のような理屈もよく聞かれる。
「ボールと足の衝突において反発係数(e)を小さくするほど止めやすくなる。そのためには足をリラックスさせれば良い。トラップにおいては脱力が極めて重要である」
これは言われるまでもなく、ほとんどの選手が感覚として承知していることである。
しかし間違った理論では、次のような結論に到る。
「上の二つを組み合わせればボールはよりよく止まる。つまり足をリラックスさせて引けば良い」
接触面付近を操作により意図的に引くことは、その周辺の筋肉を周辺を緊張させることにつながる。
これは以前に見た通りである。
その結果、ボールが足から離れやすくなる。
反発を抑えるという方針は正しいが、引くという動作と組み合わせることにより実行上の困難をともなった理論となる。
このような間違いが起こる原因は物理の教科書にあり、運動量と反発係数が一般的に隣り合った章で扱われることによる。
またこれらの理論の大きな問題は物体を点とみなす、いわゆる質点系の議論を現実に持ち込んでいる点にある。
正しい方法ではボールが丸いこと、下に地面があることを利用してコントロールを行う。
ボールが丸いからこそ上から押さえてそのまま下に足を下ろすことが可能であり、その過程で逆回転がかかる。
下に地面があるからこそ足との間にボールを挟んで勢いを殺すことができ、足首の柔軟性を十分に活用することができる。
ボールと足を点とみなしそれが横に動くことだけを考えただけでは、これらの要素は完全に抜け落ちる。
これはいわゆる「科学的な説明」において常に注意すべき点である。
「科学的」もしくは「物理的」な説明においては、現実をある種の単純化したものに置き換える、いわゆる「モデル化」と呼ばれる作業が行われる。
その段階で重要な要素を落としてしまった場合、後の理論がいかに正しくても一切意味がない。
しかしながら、「科学的」な議論を行う時、現実の雑多な要素を正確にモデルに取り入れることは非常に難しい。
このためほとんどの場合、理論化の過程において「現実の理屈への押し込み」という現象が起きる。
これは現実に起きている要素のうち、自分が取り扱うことのできる要素だけを拾い上げて議論することである。
すなわち自分の扱うことのできない部分を捨て去り、可能な部分だけを取り出して議論しわかった気になるというものである。
この方法は非常に広く行われている反面、極めて危険であり一歩間違うととんでもない珍妙な理論が出来上がる。
そしてそれに対抗するものがない状況では、嘘が大手を振ってまかり通ってしまうことがある。
今ではどうかわからぬが以前は、日本において以下のような理論が本当に存在した。
「運動方程式は時間の反転に対して不変である。よってある運動が存在すれば逆回しの運動も起こりうる。止まっているボールを動かすのはキックである。
動いているボールを止めるのはトラップである。つまりキックの反転動作がトラップである」
これは前回に見たキックの逆がトラップであるという主張を補強していた。
これを進化させたバージョンは次のようになる。
「ラグランジェアンが時間の反転に対して不変ならば、そこから導かれる運動方程式も時間の反転に対して不変である。よってある運動が存在すれば逆回しの運動も起こりうる。
止まっているボールを動かすのはキックである。動いているボールを止めるのはトラップである。つまりキックの反転動作がトラップである」
まことに恐るべき理論である。
しかし現実に下のような過程でボールは止まり、それがピッチ上で日常的に行われている。
この逆回しでキックを蹴る選手がいるとは思われない。
「そのようなトラップは誤っている。理論的にキックの逆回しが正しいのだから、それが正統である。誤った現実は正さなければならない」
頑固な原理主義者ならこのように主張する可能性もある。
しかし論的に見ても、コントロール動作において時間反転に不変なラグランジェアンを仮定する根拠は一切なく、その主張自体に何の意味もない。
ごく素朴に見てトラップはキックの反対ではない。
これは普通にサッカーをプレーする子供なら、自然に持つ感覚であろう。
ところがそれを上のような理屈を振りかざして押しつぶし、引くトラップを強要していた時代が本当にあったのである。
そしておそらく前回の例から推察して、今も一部でこれは続いている。
完全な現実の理屈への押し込みであり、このような無茶は基本的に不幸しか生まない。
これまで様々な「科学的」な技術論や動作論が生み出されてきた。
しかしそれを取り入れるか否かについては、非常な注意が必要である。
そうでなければ結局、一つの嘘を別の嘘で置き換えただけで終わる。
選手の正しい感覚を、嘘の理屈で上から潰すことだけはあってはならない。
次にコントロールに関する目次を見る。