思い込みと見え方
以前、下のようなコントロールを見た。
見ればわかるように、足を引く動作をともなわずに接触が行われている。
ここから写真を間引く。
具体的には間を二枚づつ省略する。
結果は下のようになる。
この連続写真では、足が常に動いているように見える。
間引くことにより面をつくって待つ動作が見えなくなる。
よって上コントロールが受動的であるという印象が薄くなる。
これを「空中にあるボールのトラップでは足を引くものだ」と思い込んでいる人が見ると、そのように見えなくもない。
特に接触後の写真を見るとそう見える。
確かに足がボールに対して引かれるように動いている。
これをボールを止めるために足を引いたためそのように動いている、と解釈しようと思えばできる。
このように全く引かないコントロールであっても間を省略し、引くと思い込んだ目で見ると引いているように見えるなくもない。
現実の試合をテレビで見る場合、一コマ一コマ分解してゆっくり見ることはない。
これは画像を間引いた状態で見ることに近い。
このため思い込みを通した目で見ると、空中でのコントロールは本当に引いているようにしか見えなくなる可能性が高まる。
以下のコントロールも同様である。
最初の例の接触前後は以下のようになる。
この体勢から膝下を一気に引くことが可能であるとは考えにくい。
緊張から開放された面にボールが当たり、それにより足が受動的に押された、もしくは弾かれたと考える方が自然である。
二番目の例では次のようになる。
接触時とその直後の足先の向きは以下のようになる。
ここでは受動的に足が押される効果に加え、足首が外にねじれる効果によってボールがコントロールされたと考える方が自然である。
これまでの例から、
・引くという意識的な操作なしにボールコントロールは可能である
・操作可能な状況でもそれをせず、受動的な接触によりコントロールされうる
ということは断言できる。
また操作のないコントロールであっても、「引く」と思い込んだ目で見ればそのように見える可能性が高いことも言える。
次回はこれまでをまとめる。