2008/04/06 リーガ・エスパニョーラ 31節
マジョルカ 1-1 レアル・マドリー
監督 ベルント・シュスター
フォーメーション 1-4-1-2-3
「首位のレアル・マドリーは、マジョルカと引き分けた」
「1-1やったな」
「2位のビジャレアル、3位のバルセロナは差を詰めるチャンスだったわけだが」
「両チームともこけて7ポイント差は変わらず」
「なかなか縮まらないもんやな」
「マドリーこけたらみなこけるというのが流行やしな」
「けったいな流行やな」
「とりあえず先発はこうやな」
「両チーム普通といえば普通かね」
「マジョルカはイバガサを中央に置いて、そこからの組み立てを重視したタイプやな」
「イバガサはトップ下や左で使われることもある」
「マドリーはディアラとバチスタを外して、中盤から前に上手い選手を揃えたタイプの布陣を採用している」
「まあそうやな」
「そんでや」
「なんや」
「一口に上手いと言っても色々と種類がある」
「まあそうやな」
「この試合ではマドリーのゴールシーンで、一つ典型的な上手さを表すシーンがあったのでそれを見てみようと思う」
「ええで」
「まず一つ目は下の写真や」
「中盤でガゴがボールを受けた場面か」
「一番上の写真でガゴがボールを受けてサイドに一人選手が余っている」
「ロッベンやな」
「そこを有効に使おうと思えば、赤い円で囲まれたディフェンスを消してしまえばいい」
「その選手が一番サイドに近いからな」
「それをどうやって達成するかといえば2番目の写真のように、ボールを持った選手が真っ直ぐそのディフェンスに向かっていけばいい」
「いわゆるピンという奴やな」
「ディフェンスというのは向かってこられると進路を空けるわけにはいかないから、その方向にピン止めされた状態になる」
「それによって点線のゾーンが空くわけやな」
「そして十分に敵を引き付けてからボールを離せば、めでたくサイドにフリーの選手ができる」
「定石といえば定石やな」
「全く同じ状況が下でも見られる」
「これは上でサイドに出たパスを、前に出たロッベンが受けた場面やな」
「サイドでボールを止めたロッベンは、中央を向くと最も近いディフェンダーに向かってドリブルを始める」
「その狙いは要するに、2枚目の写真にあるゾーンを空けることやな」
「さっきと一緒で進行方向に敵をピン止めして、その横にスペースを残す」
「そこから一気にドリブルで縦に抜けるわけやな」
「最後のプレーがパスかドリブルかの違いこそあれ、使われている手筋は全く同じなわけや」
「そうやな」
「以上のプレーは当たり前といえば当たり前なわけだが、下手な選手がやれば下のようになる」
「ふむ」
「要するに敵に向かわずに最初からスペースに向かい、結局ディフェンスをそちらに寄せてしまって肝心な場所を埋めてしまう」
「下手というか何も考えずにプレーすると、選手は大体赤い矢印のように動くな」
「それは結局、下手ということなんや」
「そうなんかね」
「サッカーにおける上手、下手の最初の分かれ目はボールを持った後、どれだけ目の前の敵に正対できるかで、それができない選手はいつまでたっても二流なんや」
「ほほう」
「それでドイツワールドカップの日本代表で、最もできなかった部分がそこなんやな」
「まあ、あれはチームが上手くいってなかったしな」
「チーム云々の前にあれだけ相手に向かうことができないのは、個人としての能力の問題やで」
「しかし何で今さらそんなことを持ち出すんや」
「この前、フェネルバッチェとチェルシーが試合をしたやろ」
「したな」
「フェネルバッチェの監督はジーコやろ」
「ジーコやな」
「今のジーコのサッカーには、日本代表監督をしたことで学んだことがいかされていると思うんや」
「それはそうやろな」
「その一方で、日本はジーコから学んだことをどのくらい活かしているのだろうと考えると、どうにも心もとない」
「まあ失われた四年らしいからな」
「失われたと断言する以上、そこから得たものがないというこやろ」
「そうなんかね」
「ジーコが学んだことを活かして、日本がジーコと過ごした時から何も学ばず、学ぼうとする意思も薄弱であるとしたら、それはどういうこと何だろうかと思ったわけや」
「ジーコは自分が失敗したから、そこから学んで当然で、その失敗の犠牲者である側は学ぶことなどないということちゃうかね」
「はたしてそれで正しいんやろか、そんなことでは本当に失われた四年になりはせんのだろうか、などということをつらつらと考える今日この頃であるわけや」
「さよか」
「チェルシー対フェネルバッチェ戦では、そのようなことを頭の片隅に置いて見られるのもいいのではないかというところで」
「また次回」
「ごきげんよう」
おまけ:マジョルカのラインコントロール