マルセロとサッカー選手
「新年を迎えておめでたい今日この頃」
「2010年最初のお題は何かというと」
「マルセロ」
「マルセロか」
「マルセロや」
「よくわからん選択のような気がするが」
「確かに」
「認めてどうする」
「これには理由があってやな」
「聞こうか」
「シーズンの最初にマドリーは左サイドバックにマルセロを置く限り、それが穴になって上手くいかないだろうという話が出た」
「下の図やな」
「そしてそれはセビージャ戦で現実のものとなった」
「マルセロがいかに火達磨であったかは、こちらをご覧いただくとして」
「最近はマルセロを前に出すことで一応の決着を見た」
「守備が下手過ぎて、後ろには置いておけないといういうことやな」
「そう考えるのが自然ではある」
「おまけに走力のあるマルセロを上げることで、中盤で走る選手が不足しているという弱点もカバーできて一石二鳥といえる」
「そのはずなんやけどな」
「なんぞ不満でもあるんか」
「どうもおかしいねん」
「何が」
「こう違和感があるというか、気持ち悪いと言うか、絵の中に染みがあるというか」
「だから何がやねん」
「マルセロがや」
「それはわかっとるけど、マルセロのどこがあかんねん」
「どこが言われると全部という感じやねけどな」
「全否定は愚者の証と言われてるのを知ってるか」
「そうやけど試合を見るたびに”どう考えてもおかしい”と思うし、それが試合ごとに拡大して”マルセロはサッカー選手じゃないやんな”という感想しか起こらなくなった」
「サッカー選手に対して、その言葉は最大の侮辱やな」
「そうなんやけど、思うものはしょうがない」
「しょうがないと言われても困る」
「それでクラシコを見てからこの方、”マルセロはなぜサッカー選手に見えないのか”という疑問を考え続けていたわけや」
「それは殊勝な心がけやな」
「それで色々わかったわけやけど、今回はその中でも一番要になると思われることについて見てみようと思う」
「まあよかろう」
「マルセロに対する違和感の最大のものは、下の図のようになる」
「何やこれは」
「水色の矢印の先にマルセロがいる」
「それは何となくわかる」
「何かおかしいやろ」
「おかしいかね」
「じゃあ下の形で矢印を増やしたらどうや」
「ふむ」
「何かおかしいやろ」
「確かに」
「サッカー選手というのは次の動作に移るとき準備動作、もしくは沈み込みと呼ばれる行動をとる」
「軽くジャンプして、両足を同時に地面につけて軽く膝を曲げる」
「典型的には下のようになる」
「軽く飛んで着地、ボールを待つ」
「こうしておけば前後左右、様々な方向へ動き出しやすくなる」
「上は攻撃における例だが守備においても同様の動作が見られる」
「下の感じやな」
「今、空中にある白枠で囲まれたボールを画面中央にいる黄色、青、両方の選手が競り合う」
「頭でのインパクトの瞬間」
「以後、黄色い矢印で示された周囲のディフェンダーの両足に注意してご覧いただきたい」
「下の各図において、特に右側3人の動きがよくシンクロしている」
「軽く飛んだ状態から、両足をほぼ揃えて着地している」
「上から落ちてくるボールを競り合う場合、どこにボールがこぼれるのか予想できない」
「ボールの行き先を予想できない以上、どこにこぼれても素早く反応できるようにしておく必要がある」
「そのために、このような準備動作を取る」
「極めて当たり前のことやな」
「確かに」
「おおよそサッカーを真面目にやったことがある人で、これを知らない人はいないと思われる」
「それはそうやろな」
「ところがマルセロはこれができない」
「黄色い矢印の選手全てが準備動作を行っている中、マルセロ一人が右足に体重をかけて突っ立っている」
「次の図でも同様」
「片足に体重をかけているという点では、下の図などは非常に気持ち悪い」
「サッカー選手がピッチ上で取るべき体勢ではないな」
「さらには下の場面もそう」
「これは多少まともに見えるが」
「ところがまるっきりそうではない、というのを次に見て行きたい」
「続きは」
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