正しいインサイドキックとは まとめ2
この蹴り方は少なくとも下の理屈を満たしている。
正確に真っ直ぐ蹴るためには、より広い面を角度を変えずにボールにぶつければよい。
足で一番広いのはインサイドであり、それを真っ直ぐに動かすために膝を開き、膝を中心として面の角度をなるべく固定して蹴る。
確かにこれは工学的に正しい。
その例証的説明として用いられるのがパターである。
ゴルフにおいて力と直線的な方向を最も精密に加減できるのはパターであり、この蹴り方はそれを模したものになっている。
誤った蹴り方が広まった背景には、この説明の存在がある。
また不自然であるがゆえに、流行したという一面もある。
この蹴り方は人間の自然な動きに反している。
人がものを蹴る場合、膝を伸ばしながら行うのが最も自然である。
しかしパター型のインサイドは膝の角度を固定し、それから下を振るように蹴る。
それが理由でこのキックを行うと、非常に窮屈な体勢になる。
窮屈なのを我慢する不自然な行動を教えられた通りに行う。これらのことは”真面目”という印象に転化される。
一所懸命そうな姿、真面目な態度のみが好きなコーチにとって教えがいのある技術である。
コーチは何かを伝えるために存在する。通常それは教えると表現される。それならば教えるものを持たぬコーチは、コーチではないということになる。
協会というものはコーチをつくらねばならぬ、コーチを作るには教えることをつくらねばならぬ。
そこで採用されたのが、一見正当な理論を背景とするパター型のインサイドキックである。
とりあえず選手に教えることが一つできる上に、理論的背景まで持っている。おまけに不自然な蹴り方であるがゆえに、それを身につけている子供はまずいない。
偉そうに教えるにはもってこいの技術である。
上の事々が、間違いがペストのごとく世に広まった理由であろう。
しかしパター型を支える理論は、他の視点から見ると完全にその正当性を失う。
まずサッカーはゴルフではない。
静まり返った観客の真ん中で、誰にも邪魔されずにボールを打てばいいわけではない。
サッカーでは必ず相手が存在する。そこでパスを通すためには駆け引きが必要であり、パターを理想としては駆け引きはできぬ。
蹴る方向を変え、蹴るタイミングを変え、時にはモーションをキャンセルする。
体の自由を奪うパター型のインサイドは、そのような目的に使うことができぬ。
次に人間という生物の構造を考えても間違っている。
先にも述べたように人がものを蹴る場合、自然と膝を伸ばす。
パター型のインサイドは膝の角度を固定し、それから下を振るように蹴る。これが不自然の源泉であり、それがゆえに自由が効かず、蹴ったあと必ずバランスを崩す。
蹴った後にバランスを崩しては、パス・アンド・ゴーなどやりようがない。
人は木石ではない。足首を取り外して90度ずらしてつけるわけにはいかぬ。工学的な正しさに沿うために、関節をつけかえるわけにはいかぬのである。
パター型のインサイドキックがいったいどの国で生まれ、いつ教科書に記載されるようになったのかというのは興味深い問題である。
おそらく人と人の駆け引きや人間の自然な動きというものより、理屈や原理を重んじる国で発祥したと考えられる。
そのような国として思い浮かぶのはドイツである。
司馬遼太郎著、坂の上の雲に次のようなくだりがある。
“ 維新なった明治政府は、陸軍の制度をフランス式からドイツ式に変更しようとしていた。このとき騎兵の馬術も同様にドイツ式にする予定であった。しかしそれは鞍上の姿勢に威厳があるか否かという点に重点がおかれ、
馬を御するという本来の目的のためには体の使い方に不自然な部分が多く、非常に不都合であった。このため馬術はフランス式を残すよう具申がなされた。 ”
正確な引用ではないが大意は上の通りである。
誤ったインサイドキックの例として参照したメルテザッカー、メッツェルダーはドイツの代表選手である。
人の動きを理屈に押し込めるという点で、上の話と共通点が見られるのは興味深い。
ユーロの決勝を戦ったドイツとスペインで、パター型のインサイドを使う選手と、正しいインサイドを使う選手の割合を調査した場合、おそらく興味深い結果が出るのではなかろうか。
原理好きで真面目とされるドイツの方が、いい加減で窮屈なことを嫌うスペインよりもパター型の間違ったインサイドを使う選手が多いと予想される。
ひるがえって日本はどうか。
全体的に理論が好きで真面目であるという傾向がある。
さらには人の話を素直に聞く傾向も強い。
他国ではまず自分の意見を通そうとするが、日本ではまず相手の話を聞こうとする。
このような環境では、間違った教育が非常な破壊力を発揮する。
あることに対する見方が醸造されない段階で誤った理論が、輸入されると素直にそれを聞き真面目に練習をする。こうなる可能性が非常に高い。
インサイドキックに関する間違った理論は、確かに日本に存在する。存在するどころか非常に広く流布されている。
今、手元に成美堂出版の「サッカー 練習プログラム」という本がある。
このインサイドキックの項目を見ると、パター型が写真とともに解説されている。説明文は次の通りである。
「つまりボールをとらえる部分を、ちょうどゴルフのパットを打つパターに見たてて固定するわけである」
この本の発行日は、1996年1月10日である。
これは少なくともその時点まで、間違ったパター型の蹴り方が正しいと認知されていたことを示している。
このことに関しては実際にサッカーをプレーしていた人は、多かれ少なかれ経験があることと思われる。
これはおそらく日本サッカーの歴史を考えるとドイツ辺りから輸入され、それが固着化した結果であろう。
これがいつもたらされたのか、それを調べるのも興味深いと考えられる。
繰り返しになるがこれまで見てきたようにパター型のインサイドは、サッカーをプレーする上で弊害のみを備えた間違った技術である。
それを教えることに一点の意味もなく、強制することは選手の可能性を奪い未来を潰す。
それを練習することは可能性を自ら閉ざし、未来を捨てることになる。
一日も早く改善されることを切に望むものである。