レアル・マドリーの惨状とその原因
マドリーがここまで弱くなった原因について質問をいただいたので、それに答えることを試みる。
理由としては、まず選手の質が落ちたこと。次に会長の雅量がなく組織を食い物にしたこと。そしてスペインリーグ自体が強くもないマドリーを止められないほど弱体化したこと。以上のことが考えられる。
選手の質
ピッチ上に見られる第一の原因は選手の質が落ちたことである。
特に攻撃能力において、大きく質が低下している。
例えば最後にチャンピオンズリーグを取ったシーズンと比べると下のようになる。
紫が今であり、黒が昔である。
攻撃面で現在の方が上であるといえるのは、マケレレに代わったラスのみである。フンテラールがファン・ニステルローイに代わった場合、上と言うことができる。
しかしここで例えば左にロビーニョを入れたとしても、ジダンに優ることはない。
多くのポジションで攻撃的能力において同等か、明確に劣る。
特に差があるのはイエーロ、ロベルト・カルロス、エルゲラ、ジダンの地点である。
レアル・マドリーは「サッカーをプレーする」ことが求められるチームである。
ロングボールを前線に放り込むだけ、ひたすら守ってカウンターを狙うといった戦いをした場合、監督、会長ともども耐えがたいほどの非難を浴びる。
このようなチームで、ボールを持って相手を押さえ込む能力が落ちることは致命的である。
現在のチームはバックラインの強さを背景に、カウンターから点を奪うことに向いている。
チームの指向しなければならないサッカーと保有している選手の質が矛盾している、もしくは指向しているサッカーから見て選手の質が落ちた。
これが現在のマドリーが弱い最大の理由である。
次になぜ選手の質が落ちたかを見る。
質の低下とその理由
マドリーも選手の補強を行ってはいる。
しかしオランダから2級、もしくは1級にはとどかない中途半端な選手を買い続けており、全くチームの強化につながっていない。
ドレンテ、スナイデル、ファン・デル・ファールト、フンテラールといった選手がそれである。
ドレンテはマドリーでプレーするには早く、レンタルで育てるべき選手である。
スナイデルとファン・デル・ファールトはボールを蹴る、特にフリーキックにおいて抜群の選手である。
しかしフィジカルコンタクト、及び持久力に問題を抱えている。
例えばソラーリ、ジダン、フィーゴは大きくて上手い選手であり、上の2人では明らかに見劣りがする。
加えて言えばソラーリは驚異的な走力と持久力を備えており、自分で試合を決めるだけでなく、他者を支えるという点でも優れていた。
フンテラールは才能のある選手である。しかしマドリーは明日のスターを求めるチームではない。その意味で彼が今のマドリーに買われたことが幸せなことであるかどうか難しいところである。
フンテラールは「自分はマドリーに残りたいし、残るつもりだ」と述べているが、これは取りも直さず彼を不要とする見方がすでに存在することを示している。
マドリーがオランダ人を大量に補強している、というのは異常な事態である。
以前バルサが同じことをしたが、それは監督がオランダ人でありある意味当然のことであった。
若手を買うにしてもアルゼンチン、ブラジルやスペイン国内でも十分に探し出せるはずであるのに不可思議としか言いようがない。
ここに一つの噂がある。
選手補強をめぐる噂
マドリーのスポーツ・ディレクターであるミヤトビッチと選手代理人が結びつき、代理人の関係する選手を補強するごとに移籍金の例えば15%が懐に入るシステムを作りあげていると噂されている。
このような場合、選手がチームにとって本当に必要であるかどうかということより、より金になる選手が優先されることになりかねない。
このような形で組織を食い物にする人物が出た場合、その凋落は極めて早い。
選手の獲得で裏金が動くというのは、サッカーにおいて基本であるとさえ言える。
しかしその場合でもチームに得をさせることで自分も得をするという思想でなければならず、チームに損害を与えて自分だけ得をするということはあってはならない。
以上のことはあくまでも噂であり、真偽のほどは読者で判断いただきたい。
監督交代による補強のぶれ
デル・ボスケを失って以来、マドリーで2シーズン続いた監督はいない。
6年で8人の監督を用いており、シュスターの1シーズン半が最長である。
このように監督が頻繁に変わることは、もちろん選手補強の面でも悪影響がある。
例えばグティの扱いを見ても、カペッロは彼を控えにすることでチームを固め、シュスターは彼をなるべく先発させることでゲームを作ろうとした。
監督によって求める選手が異なるのは当然のことであり、それが長期的なビジョンとして補強に反映されるべきである。
にもかかわらず明快な方針もないまま、会長の勝手な都合と保身のために監督を変え続け、補強も右往左往したことが今の惨状に結びついている。
会長の所業
ここでは最近のマドリーの会長がいかに保身のために動き、監督を犠牲にしてきたかを見る。
このような状況においてマドリーの監督を引き受けたいと思う者は少なく、今後の人選においても少なからぬ影響を与えるはずである。
まず2003年、デル・ボスケは、フロレンティーノ・ペレスにより首を切られた。
フロレンティーノ就任以来、マドリーはタイトルを取り続けた。
しかし世間はそれを監督の手柄としか見なかった。
歴史に名を残したいフロレンティーノはそれが目障りであり、リーグ優勝を成し遂げた年にデル・ボスケを追った。
その後、カルロス・ケイロスで結果が出ずカマーチョはクラブに反発し電撃辞任、後を継いだガルシア・レモンは右往左往するばかり。
デル・ボスケを追った会長に非難は集中した。
そこに現れたのがバンデルレイ・ルシェンブルゴだった。
2004年12月30日の就任以来、彼は勝ち続け、文字通り会長の首を救った。
しかし次のシーズン、序盤低迷すると恩人であるルシェンブルゴを物でも投げ捨てるように追い出した。
この時、ルシェンブルゴはマドリーが用意した記者との応答の席に現れることを拒否した。
引退会見はルシャのものであるとされる文章を他人が読み上げるという異様なものであった。
フロレンティーノはルシェンブルゴを犠牲にすることで批判をかわそうとしたが次のロペス・カロでも上手く行かないと見るや会長職を辞し、チャンピオンズリーグでの敗退が決まる前に逃げるように去って行った。
結局、彼はサッカークラブの会長としては初期におとなしくしていた時が最も良かった。最後はチームをかき回して逃げただけである。
功績としてはマドリーの借金を一掃した点だといわれている。
しかしそれは自分のためでもあった。
新都心に近い場所にあった練習場を売り郊外に新しい施設を作る。その差額でクラブに金をもたらしたわけだが、フロレンティーノはその移設作業を自分がトップをつとめるゼネコンを使って行った。
ばかばかしいほどの利益が出たはずである。
フロレンティーノ後、ラモン・カルデロンが会長となりカペッロを招聘する。
チャンピオンズリーグには敗れたものの、4シーズンぶりにリーガを制す。
しかしカペッロは1年でマドリーを後にする。
これは会長の問題ではなく、カペッロのサッカーとマドリディスタの求めるサッカーが絶対に相容れないものである点が大きい。
2007年、カルデロンはシュスターを招聘。自滅を繰り返すバルサを置いてリーグ優勝を果たす。
2008年、好調のバルサに対してマドリーは内容も成績も明らかに劣っていた。
12月にシュスターを解任、フアンデ・ラモスの就任を発表する。
しかしその直後、カルデロン自身が会計承認時の投票操作疑惑からフンタ・ディレクティーバに追われる形でチームを後にした。
ここで監督が首を切られる時期に注目したい。
ガルシア・レモンが追い出されたのが、2004年12月。
ルシェンブルゴが追い出されたのが、2005年12月。
シュスターが追い出されたのが、2008年12月。
すべて12月である。
これは偶然ではなく、会長の保身には12月が最も好都合だからである。
12月になるとクリスマス休暇で2週間ほど間が空く。
この時期に問題を残すとネタのないマスコミの格好の餌食になるし、ファンの不満の矛先というのも会長に向かいやすい。
これを避けるため12月に監督を変え、1月からの補強を匂わせることで期待を抱かせ批判を沈静化する。
よく使われる手である。
しかしそこにはチームのためにという思想は存在しない。
例えばフアンデ・ラモスは以前にも見たように、現在のマドリーに最も不向きなサッカーを得意とする監督である。
チームにとって必要な監督を招聘するというより、ある程度名前がありある程度不満をそらすことができる監督を招聘するという意図が強く感じられる人選である。
結局、フアンデも中盤が崩壊する従来からの病気を止めらなかった。
また前線の打撃力不足も顕著であり、リバプールに0-5という大差、しかも内容ではそれ以上の圧倒的大差で敗れる。
これはフアンデのみの責任ではなく、レアル・マドリーというチームの歪みが厳しい場面で一気に吹き出ただけである。
しかしながらこのような瑕のあるマドリーが、リーグ戦では順調に勝っている。
ここにも問題がある。
リーガの弱体化
チャンピオンズリーグで負け続けているように、近年のマドリーは決して強くない。
ピッチ上での主な原因は上で見た選手の攻撃的な質の低下と共に、中盤のサイド、中央で走る選手の不在である。
具体的にはソラーリ、ジェレーミ・ヌジタップに相当する選手である。
これがために簡単に中盤にスペースを残す。
マドリーはそれでも勝つ。
国内ではそれを咎めるだけの戦力を持つチームがないからである。
しかし相手が強くなる欧州の舞台では理論通りに負ける。
スペインリーグのレベルの低下がマドリーに改善をうながす機会を減らしている。
ここにも大きな問題がある。
強かった時代のバレンシア、デポル、ソシエダーなどが存在すれば、マドリーは今ほど楽に勝てないはずである。
ではなぜリーガのレベルは低下したのか。
土地バブルの崩壊と資金難
リーガのレベルが落ちたのは、資金が不足したからである。
それは土地バブルの崩壊によりもたらされた。
現在、バレンシアは選手に払う給料がない。
以前、レバンテも同じ状況に陥った。
スペインにおいて多くのサッカークラブの財政状況は極めて危機的であるとされている。
2000年前後、リーガは最強と言われるだけの実績を残した。
これを支えたのは1980年頃からの急激な地価の上昇である。
地価が上がれば巷に金があふれる。これは日本も強烈に体験した通りである。
ただしそれが一度外れた場合の落ち込みは凄まじい。これもまた日本が体験した通りである。
EU加盟から統一通貨ユーロの登場に向けて、相対的に物価が安く発展の余地を残していたスペインには、これまで「外国」であった国々からの資金が一気に流入した。
また地域格差をなくすという名目でばら撒かれるEU助成金も経済発展を後押しした。
経済が良くなれば地価が上がる、地価が上がればそれを転がすものが出る。転がしてあふれ出た金は世間を潤し、サッカーチームにも流れ込む。
金のあるところに良い選手が集まるのは道理であり、それがリーガ隆盛の一因であった。
今、そのバブル的好景気が去った。
世界的不況もあり、発展を支えていた外国資本は撤退し自国防衛に走る。
次に待ち受けるのは選手の流出である。
例えば今シーズンの初め、コロチーニ、ジョナン・グティエレス、ポウルセン、フィリペ・メロといった選手がスペインを後にした。
彼らは大スターとは言えないが、同じレベルの交代要員を探すのは難しい選手である。
またもっと目立つ事例ではロビーニョの移籍がある。
彼が63億とも言われる金額でシティへ買われたことは、これまで札束で顔をはたくようにして選手を集めていたレアル・マドリーが、逆の立場になったことを示している。
今はまだ上で見たような選手や、ホセ・エンリケ、アルベロアといった若手の流出が主である。
しかしこれからはそれに留まらず、ビジャ、シルバのような選手が、クラブの資金難から海外に出ざるを得ない状況になると考えられる。
イギリスとスペインを比べると、もともとの経済力に差がある。
これに加えてプレミアには、石油資金が次々と投下されている。
シティがメシに140億の値段をつけたという話からもわかるように、バルサ、マドリーですら選手の流出を食い止めるのが難しい情勢になりつつある。
スペインは土地を売り買いすることで資金を集めたが、あちらは土地からお金が湧いてくる。
当然、勝つのは難しい。
また経済に格差が出れば該当国間での移籍だけでなく、他のリーグからの選手獲得において不利になることは当然である。
リーガ低迷の大きな要因は、土地バブルの崩壊と資金難にある。
まとめ
マドリーの弱体化の背景にはリーガ全体の弱体化がある。その大きな理由は経済の悪化である。
マドリー内部の問題としては、会長が自己の名誉と保身のみを考えて行動したことである。これが監督を短命に終わらせ方針の一貫性を欠いた。
また意味のない補強を繰り返す背景には推測ではあるが、代理人との癒着構造があると思われる。
以上の理由によりチームに求められる選手の質と現実の選手の質が矛盾した。一面から見たら選手の質が落ちた。
強くなる理由がなく、弱くならない理由がない。
マドリーの今後
根本から変えるべきである。
経済状況を変えることは難しい。
よって良い会長を選ぶことが最初の課題である。
フロレンティーノを戻したところでどうにもならぬのは明らかである。
会長の候補を探すのは難しいが、例えばヘタッフェのアンヘル・トーレスがいる。
彼は昔からマドリーのソシオでありその面での問題はない。
彼が就任して以来、ヘタッフェはセグンダとセグンダBのエレベーターチームであることをやめ、一部に昇格はおろか5シーズン残留し、さらにはUEFAの8強に残るまでの成績を残した。
常識的に考えて、他のクラブの会長からいきなりマドリーの会長に納まるというのは無理であろう。
彼以外にどのような人材がいるのかはわからない。
しかし次の会長選においては商売人ではなく、サッカークラブの会長を選ぶべきである。
また噂の真偽によらずミヤトビッチを首にすべきである。
補強の失敗は明らかであり、総指揮者の立場にある彼の責任は当然問われるべきである。
監督はビジャレアルのペレグリーノが適任であると考えられる。
ラッファ・ベニテスを呼ぶという話もあるが愚である。
まずサッカーが合わない。またリバプールがよほどの仕打ちをしない限り、わざわざ今のマドリーに栗を拾いに来るとも思われない。
まだマドリーは落ちきってはいない。
おそらく後1~2年ほど駄目な期間が続き、その後改革が表れるであろう。