ライン越えのパス アイディアが技術を生む
「前の文まで”ワンツーで横に出せるならそこを囮にして、もう一つか二つ裏を狙う”というアイディアについて詳しく見てきた」
「これを図で表すと下のようになる」
「走り込む選手と、ボールを返す選手の間にディフェンスが挟まれている状況なら、この技を仕掛けることができる」
「ゾーンはどこでもいい」
「応用としては、二人抜く場合にも使うことができる」
「ニハットのプレーやな」
「この系統のプレーのメリットは、下のように表される」
「上が普通のワンツーで下が今回のワンツーやな」
「実は受ける側としては下の方が技術的に易しい」
「上の場合、赤い場所でのコントロールが難しい」
「前にスピードを上げながら横からのボールを受ける場合、プロでもミスが多い」
「その点、下のパスならボールとプレーヤーが同じ方向に走るのでコントロールは容易になる」
「そして実はサイドの崩しでこれと同じアイディアが非常によく見られる」
「これはよく見るな」
「サイドバックの裏を取る一つの手筋やしな」
「アイディア一つで応用色々というやつか」
「サッカーで一番大切なのは、結局そのアイディアの部分やしな」
「そうなんかね」
「例えばニハットがパスを出した場面で変なテクニックを使っているんや」
「どんなんや」
「下のやつやけどな、一回軸足を着地したあとそのまま飛び上がって、まるでケンケンをしながらボールを蹴っている」
「これは珍しい技やな」
「こんなん、どこでも教えてへんやろ」
「ニハットの発明やろな」
「そこが問題なわけよ」
「発明がか」
「どこからその技が飛び出してきたかというと、最初にワンツーを返すフェイクから縦を抜こうというのがあるわけや」
「そらそうやろな」
「アイディアはあるけど一回の踏み込みでは実現できない。ならば二回飛べば行けるではないか、というところにこの技の起源はあってそれが発想の源になっている」
「アイディアと現実のギャップを埋める橋渡しとして、新技が生まれたわけか」
「必要は発明の母というわけで、必要というのは何かを行いたいというアイディアが作り出すものだから、アイディアが技術を生む元になるわけや」
「あたりまえと言えばあたりまえの話やな」
「サッカーで技術高い、技術が低い、上手い、下手だとよく言われるけど、じゃあそれを突き詰めていくとどこにたどり着くかというと、アイディアが足りないから技術が高まらないというのも大きい」
「それはあるかもわからんな」
「あと、このアイディアというのはサッカーの文化成熟度とも関係する」
「またわけのわからんことを」
「例えばチェスの話になるが、ポーランドかどこだかの国は、国民の60%くらいが妙手を妙手として鑑賞できるそうな」
「それがどうした」
「妙手を味わうためにはその時の状況や、何が問題になっているのかということを確実に把握していないと無理やろ」
「そりゃ、駒の動かし方も知らんようではわからんわな」
「つまりより深くチェスを理解していればしている程、素晴らしい一手をより深く味わえるわけで、そういう人が多ければ多いほど、その国にチェスが浸透している、ひいてはその国にチェス文化があるということができるわけや」
「そういう基準か」
「そうなるとサッカーにも同じことが言えるやろ」
「良いプレーをより深く味わえる観客が多いほど、その国にサッカーが浸透している証ということか」
「プレー人口が多いといった基準の他に、そういうのも大切ちゃうかということや」
「どうやろな」
「だからこういう技術を分析する文章は、わりと大切やと思うわけやな」
「だから最近ゴールの決め方(※リンク切れ)やキーパーとの1対1(※リンク切れ)、ラウールの小汚い技(※リンク切れ)やグティのパス(※リンク切れ)なんかに関する話が多かったのか」
「多分そうやな」
「しかしまあそんな大業なことを言わんでも、色々わかった方がおもろいし、やる時に楽しいでええやろ」
「もちろんそうやけどな」
「あんまりサッカー文化とか言い出すと、うそ臭いインテリゲンチャ気取りみたいでようないで」
「そうかね」
「大体そういう人は信用したらあかんことになってんねん」
「そんなこんなで」
「サッカーの技術は色々と面白いというところで」
「また明日」
「明日もやるんかいな」
「たぶんな」
「そんなこんなで」
「ご機嫌よう」